相対性理論を理解する前提として、まず従来のいわゆる古典物理学の理論、特に力学の基本を理解しておかなければならない。
従来の物理法則においては、時間と距離は相互に干渉することなく、厳然として別個に測定され、また変化していくものと考えられていた。距離が測定された時間によって影響を受けたり、時間が距離により乃至測定する立場により変化するということはあり得なかったのである。
すなわち、
1、或時刻より或時刻までの時間は何ぴとにも一様に流れる。(普遍的時間の概念)従って、宇宙の何処に於いても西暦2003年1月1日は西暦2003年1月1日であり、午後1時10分は午後1時10分である。それから1年が経過すれば、宇宙の何処であってもいかなる状態にある場所でも、西暦2004年の正月になる。それが移動中のロケット内部であっても(基準系を換えても)変わりはない。但し、地球は球体のため時差が存在するが、それは単に換算の必要があるに過ぎず、現時点は地球のどこにあっても現時点であるとされる。
2、同時刻に起きた事件間の距離は何ぴとにも一定である(普遍的空間概念)従って、飛行機に乗りまたは列車に乗り移動中の人にとっても(基準系を換えても)、地上の人にとっても、両事件間の距離は同じ値をとる。 なお、別の時刻に起きた事件間の距離はそうはいかない。移動中の観測者にとって測定された距離と停止している観測者により(基準系を換えると)測定された距離は異なる結果となる。
3、時間と空間は互いに干渉しない時間と空間は全く独自の存在を持つから、相互干渉はあり得ない。それぞれ別個に観測され、別個の値を持つ。
運動、特に等速直線運動は他の物体を基準とした一定速度による位置の変化である。その点で等速直線運動は相対的なものである。一方を基準とすれば他の物体が等速直線運動をしていることになり、他方を基準とすれば一方が運動していることになる。
そのため両者の間で「本当はどちらが動いているのか」と言う質問は成立しない。
従って、速度は相対的なものであり、他との比較によって測定されるものであって、絶対速度というものはあり得ないとするのが、ニュートン物理学で真理とされた。
@、対地速度の例乗り物に乗って移動しているとき、我々が移動しているといい、我々に対して地面が後方移動しているとはいわないのが常である。しかし理屈を言えば我々の乗り物を基準として地面が移動していると考えても何ら不都合ではない。複雑なだけである。
列車内を移動する人の位置を考えるときなどは、むしろ対地速度は考えず列車を基準として人の位置を考える方がわかりやすい。
A、対空速度の例しかしこれはあくまで等速直線運動に限られ、加速度が加わった物体は相対性が認められないように思われる。そこで加速度運動には絶対運動が認められるのではないかという疑問が生じることとなる。
2、速度の合成法則について一定速度で運動中の物体から他の物体を発射したときの速度は、両物体の速度を加算したものになる。
速度加法の例と速度減法の例
@、草原で狩猟をしている。獲物を追いかける自動車からライフルを発射したとき。
草原でジープに乗って狩猟をしているとする。ジープは対地速度60km/hで走っているとき、その上から逃げていく獲物をめがけてライフルを発射したとする。ライフルの弾がジープに対して100km/hで前方に飛んでいくとき、そのライフルの弾の対地速度は60+100(160)km/hとなる。
ライフルを後方に発射したときは60-100(-40)km/hとなる。この場合速度がマイナスになるのは後方への速度であることを意味する。
A、走行中の列車内で弁当販売している。後ろから前方へ歩いて進んでいくとき。 対地速度時速100km/hで走行中の列車内でお土産品の車内販売をしながら女子職員が進行方向に向かって進んでいくとする。その歩行速度が列車に対して時速4km/hであるとき、その女子職員の対地速度は100+4(104)km/hとなる。先頭についた後、逆に戻ってくるときは100-4(96)km/hとなる
3、波動の速度について 波動は物質ではなく、物質の状態が振動することであり、現象というべきものである。音は空気の振動であり、湖の波は水面の振動である。音という物質や波という物質が存在するわけではない。音が発せられる原因(例えば爆発)が起こると、空気の分子が振動を起こす。この振動が隣接する空気を振動させ、次から次へと振動現象が引き起こされ振動現象が伝わっていくことになる。これらの場合、空気や水を媒質という。
波動の速度は特徴がある。波動は物質の現象であるというその特質により、波動の伝わる速度は振動する物質、即ち媒質に対するものとなる。
@、本来、波動の速度は波源、観測者に関しない。
A、媒質による
ボールを上に投げる
@、野球のボールを上に投げてみる。ある程度の高さになると下に落ちてくる。そして投げた場所に戻る。前方に一定の速度で進行しながら同じように投げてみる。やはりいずれ下に落ちてきて、元の手に戻る。投げた人から見るとボールは両方のケースとも真っ直ぐ上に上がっていってそして真っ直ぐ下に、元の手元に戻ってくる。投げた人が静止していても、等速直線運動をしていても、同じ結果となる。 この事例は、投げる人を基準としてボールの運動を考えるときは本人の等速直線運動の有無はボールに関係しないことを意味する。即ち本人を静止の状態と見なすことが出来る。
A、後者の例を(進行しながら投げた場合)側で停止したまま見てみると、投げられたボールは放物線を描いて上に上がっていき、やがて停止して、放物線を描いて落ちてくる。そして前方に進んでいった投げた人の手に戻るのが観測される。停止していて投げた場合を一定速度で前方に進んでいる人から見ると、やはり同じようにボールは放物線を描いて上に登りそして落ちてきて投げた手に戻るのが観測される。 この事例は、側で見ている人を基準としてボールの運動を考えるときは本人の運動の有無がボールに関係しており、その関係度は本人の観測者に対する運動状態(移動速度)に依存することを意味する。即ち本人は基準に対して等速直線運動をしており、それに加えてボールが上下運動をするのであるから、両運動の合成の結果として、放物線運動として観測されることになる。 ボールを投げる人と側で見ている人との相互の位置と速度の関係は、次の式で表されることになる。これがガリレイ変換と呼ばれる。
2、ガリレオの相対性原理@、物理法則は全ての慣性基準系(等速移動系)で成立する。かってガリレオは相対性原理を唱えた。全ての力学法則は等速直線移動をしている慣性基準系で全く同様に成立し、相互に相対的な関係になっているという。そこに特別の系は存在せず、全ての系は全く同格であるという理論である。
A、走行中の船の中でビリヤード 従って、等速直線運動をする大型旅客船の上でビリヤードの競技をしても、静止した地上で行っていると全く同じように競技をすることが出来る。これは等速直線運動をしている慣性基準系上では、物理現象は全く同じであって、言い換えれば物理法則が全く同様に適用されるということである。勿論ほかの力学で説明される球技を行ったとしても同様であり、その間には何の区別も付けられない。 地球は太陽を周回しており、加速度を持って円運動しているのであるが、充分に短い時間をとれば、等速直線運動をしているとみなすことができ、これは静止と同じ意味を持つ。すべての物理法則はこの静止と同値である地上において、実験によって理論化されてきたものである。物理上の実験、化学上の実験、生物学上の実験等々、一切の実験の成果たる科学理論の構築は、このガリレオの相対性原理が真理であることを示している。
3、加速度系での相対性原理但し、旅客船が港に入ろうとしてブレーキをかけてスピードをおろしたときは、その加速度はビリヤードの競技にも影響し、ボールの運動は思いがけないカーブを描くことになってゲームはめちゃめちゃになる。ゲームがめちゃめちゃになったことによりその基準系は静止系乃至等速直線運動とは違った特殊の系に属することが明らかになる。その点からガリレオの相対性原理はあくまで非加速度運動(静止乃至等速直線運動)に限られることになる。地球に於いても同様で、ある時間を超えると地球自身の自転や周回運動の影響が実験に表れ、無視できないものとなる。
昔は地球は平らなものと思われ、太陽や星が東より昇り西へ沈むものと考えられていたが、やがて地球は球体であることが判明し、コペルニクスなどにより、太陽が中心となっており、地球は太陽の周りを周回していることが明らかにされた。地動説によっていろいろな天空の出来事が合理的に説明できるようになり、これらは地動説の正しいことの裏付けとなった。
2、宇宙中心の重構造@、太陽が太陽系の中心に位置し、惑星、衛星が周回している。
地球が太陽を周回するのは、地球の大きさに比べて太陽の質量は巨大なため強力な重力を持ち、その強力な重力に対して遠心力によりバランスをとって居るからである。月は地球に比べて十分に小さいため、地球の周りを周回することになる。このように宇宙は巨大な星を中央に配置し、その周りを比較的小さい惑星や衛星が周回するという構造を持っている。
A、銀河系の中心を軸として、太陽系等の星集団が周回している。 太陽系はまたそれ自体独立する系ではなく、他にも数個の惑星を従えた多くの恒星系があり、これらと共に銀河系を形成しており、銀河系の中心を軸として長い年月をかけて周回している。銀河系は周辺は星の集合密度は薄く、中心に近づくに従い質量が集積していることになる。
B、それが続いて、最後的には宇宙中心が推測される。 我々の銀河系は他の銀河系と共に銀河系集団を構成して銀河系集団の中心を軸として周回することになる。銀河系集団でも周辺よりは中心になるにつれて密度が上がり、巨大な質量が存在するはずである。
3、中心に行くに従い物質密度を増し、芯はものすごい超密度か。このような構造は、更に続いて深度を増して重層構造を形成し、最終的には宇宙の中心に至ることになる。そして宇宙中心ではとてつもない超高密度の状態になっていることと推測される。また最終的な宇宙中心はまさしく宇宙空間の基準であり、宇宙空間はこの基準に対して静止状態にある。その意味で宇宙空間は絶対空間であり、宇宙に存在するすべての物質はこの基準に対して運動していることになる。
4、現実の世界は相対性原理と整合しない1、宇宙に関するこのような重層構造としての理解は、宇宙中心だけを絶対静止系として特別扱いする点で相対性原理と整合しない。ニュートンの古典的力学はこの宇宙中心の絶対静止系及び理論上の慣性基準系で厳密に成立するものであり、その他の加速的移動基準系では適用することは出来ず、加速度による修正が必要になるはずである。また宇宙中心に対して等速直線運動をしている基準系であっても、絶対空間を移動しているという特性は否定できず、その結果絶対静止系である宇宙中心とは違った何らかの物理現象が観測され、これによりその自分自身の運動を証明することが出来るはずである。
2、考えてみるとガリレオの相対性原理が等速直線運動をしている慣性基準系にその適用の限界を認めるのは疑問があるところである。本来存在しない慣性基準系
真空中を伝播することから光を物質の現象ではあり得ないとする考えで、光の本体を物質であるとするもの。これによると光の速度は光を発射する光源に対するものとする考えかたを取りたくなる。アインシュタインの光量子論は光の粒子性を明らかにした。
干渉などが観測されることから光を物質ではあり得ないとする考えで、光の本体を物質の現象である波動であるとするもの。これによると光の速度は媒質である物質に対するものとなり、物質の存在しない真空中を光が伝播することは認めにくく、宇宙空間に何らかの媒質を予想したくなる。光の干渉などの波動性はシャボン玉や水に浮いた油の模様などでわかる。
地上で光を発生させてその光を観測して速度を調べたところ、秒速ほぼ30万キロメートルであることが解った。しかし光の速度は何に対するものであるかは必ずしも明確でなかった。地上で発生した光は地球に対する速度と考えても良いかもしれないが、天空からの光については未確定であった。
宇宙には同じ大きさの星がお互いに周回しあっているいわゆる双子星(連星)が存在する。この星から発せられる光を地球から観測して、遠ざかっている場合とこちらに近づいている場合とで比較したところ、光の速度は光源の速度に関係しないことが判明した。(1912年にオランダのw.ド.シッターも確認したと言われる)光が粒子であるとすれば、古典力学の速度の合成法則によって、両速度は異なるはずである。光源に関しないとなると光はその実体を波動と考え、その速度を媒質に対するものと考えるべき事になろう。
光を波動と考えると、先に波動の速度の項で述べたとおり、本来、波動の速度は伝達母体の媒質に対するものである筈であるから、、その速度の対象は地球が移動しているこの絶対空間でしかあり得ないと思われた。そうするとそれが伝播する媒質の存在が必要であるが、その媒質をエーテルと名付けられ、宇宙空間に存在する物質とされ、光はエーテルを媒体として伝播する波動であるとされた。言い方を換えると絶対空間はエーテルで満たされており、光はこのエーテルを媒質として伝播することになる。地球において光の速度を観測したとき、地球の絶対空間に対する速度は、観測値−cである。
1、地動説によれば、地球は太陽の周りを周回して移動しており、太陽は銀河系の中で移動しており、結局地球が宇宙の空間内をかなりのスピードで移動していることは疑問の余地がなかった。
2、光はその性質を粒子と見るにせよ波動とみるにせよ、絶対空間に対して秒速30万キロメートルの速度を持つことも間違いないようだった。 3、そこで、光の速度を精密に観測して調査すれば、地球が絶対空間に対していかなる速度で運動しているかが解るはずだった。
1、実験したところ、驚くべきことに光は地球の進行方向でも進行方向と直角の方向でも同じであった。マイケルソン・モーレイの実験である。
2、これは、もし光が絶対空間に対しての速度を持ち、地球が絶対空間を移動しているとするならあり得ないことである。光が絶対空間に対する速度を持つとするなら、この結果は地球は絶対空間に対して静止しているということを意味するものである。
1、地球が絶対空間に対して静止しているとしたら、天動説に逆戻りすることになる。
2、地球が絶対空間に対して移動しているならば光速度は前方と後方で違うはずである。しかし光速度がどちらも同じ30万kmなのは何故か。
地動説と天動説のどちらが正しいかはここでは問題にする必要はない。 先人が数え切れない実験で当然のうちに前提としてきたガリレオの相対性原理と、光速度は観測者を基準とする速度であるというマイケルソンモーレイの実験結果を同時に真理として受け入れなければならない。速度とは基準を何処に取るかによって違ったはずであるが、しかし、マイケルソンモーレイの実験が示しているものは、観測者は自らがどんな速度でいかなる方向に運動していようとも、その影響を受けることなく、光速度は常に一定の速度(時速30万km)という値を取ることである。光速度は基準を何に依るかに関せず、それを観測する者にとって一定速度(時速30万km)で観測される事実を認めなければならない。 物理学はガリレオの相対性原理とマイケルソンモーレイの実験の結果を基に、再構築されなければならない。
1、ガリレオの静止及び等速直線運動における力学に関する相対性原理を真理と認め、更にこれを物理法則全般を含むものとして拡張する。これが特殊相対性原理である。
2、光は、観測する者が静止しているか一定の速度で移動しているかに関することなく、すべての観測者にとって秒速30万kmの一定の速度で進むことが観測されることをみとめる。これが光速度不変の原則である。
@、光速度不変の原理
秒速vkmで運動している高速移動物体から光を発したとき、従来の力学法則に従えば速度加算法則によって光の速度(秒速)は30万+移動物体の速度vとなりそうであるが、そうはならない。光の速度は観測者を基準として常にc(=30万km/s)である。これが光速度不変の原理という法則である。
A、相対性原理の拡張
ガリレオの相対性原理は力学法則に関するものだったが、これをすべての物理法則(特に電磁力学法則)に拡張してみる。光の速度が観測者を対象とした速度であることを、この相対性原理に組み込むと、光の速度は何処にいる人にとってもどんな移動をしている人にとっても一定であり、その値は観測者にとって秒速約30万キロメートルとなるという法則が成立する。
光速度の絶対性を承認して相対性原理をこれに拡張すると、ガリレオ変換では速度合成則により光速度が変化するので不十分であ。いかなる値を持つ速度どうしを合成しても30万km/sを越えることのない速度合成法則、および慣性基準系より他の慣性基準系に移動しても光速度が変化しない速度変換法則をうち立てなければならない。静止している観測者にとっても一定速度で移動している観測車にとっても光速度が変化せず、常に30まんkm/sとなる、この新しい法則がローレンツ変換である。
1、地球で光を発したとき、1秒後には30万キロメートルの光円が出来て、その中心に発光体である地球が存在する。ちょうど大輪の花火が広がってその中心に地球がある図である。地球の前方30万kmに光が到達したときと、後方30万kmに光が到達したときとが丁度1秒経過したときであって同時ということになる。
2、しかし、外部、例えば火星からこの現象をみると地球は光円の中心にはない。1秒後には地球は地球の速度v×1秒だけ進んでいる。だから地球の後方の距離は(30万km+v)であり、前方の距離は(30万km−v)となる。だから火星から見ると地球の前方(30万km−v)に光が到達したときと、後方(30万km+v)に光が到達したときとが丁度1秒経過したときであって同時ということになる。これは座標で見ると同時を表す水平軸が傾くことを意味する。
3、火星からみると地球より前方に(30万km−v)のところまで光が到達したときに1秒が経過したこととなるが、地球上から見るとそのときはまだ1秒経過していないことになる。逆に火星からみると地球より後方にに(30万km+v)のところまで光が到達したときに1秒が経過したこととなるが、地球上から見るとそのときはすでに1秒以上経過していることになる。
4、即ち進行方向に対して時間の進み方が早くなり、後方に対して時間の進み方が遅くなることになる。
60万kmの長さの列車が猛スピードで走っているとする。その中央より光を発射して列車の前後にある刻印機を操作して鉄路上に刻印し、それで長さを測ってみるとする。列車上の観測者からみれば前後の刻印機は同時に機能するので鉄路上に長さを記すことになる。しかし、外部よりみるとそうは言えない。列車は進行している。中央より発して光はまず後部に到着して刻印機を操作し刻印する。そのあとで前方に到着して刻印することになる。後部の刻印と前方の穀寸の間には若干の時間差が有り、この間に列車は進んでしまうから、刻印は列車の長さを正しく表さず、長めの距離になってしまう。
時間というものは捕らえどころのないものである。空間と違って一方的に未来に進むしかないし、六感により感覚的に捉えることも出来ない。このような時間は何によって測定されるのか。
絶対空間を前提にして、宇宙は大質量を中央に配置して周囲に衛星などの小質量の物質が周回する構造が複合して構成されているものと思われるが、果たしてそれで良いのかどうかは疑問の余地がないわけではない。
@、振子、テンプ、水晶振動..
狂いはいずれも自然時間(太陽の時点を1日=24時間)に合わせて調整 振り子、テンプや水晶振動などもあるが、現在では多くは時計という器具によって時間を計っている。しかし人工物である時計も必ずしも正確ではない。最近の技術は非常に正確な時計を作り出してはいるがそれでも正しい時刻からずれてくるのはやむを得ない。この場合は正しく調整してやらなければならない。その場合に基準とするのが、従来は地球の自転であった。南中から南中までが24時間ぴったり、即ち1日となる。1年は1日の倍数でなければならない。1日の途中で1年が終わるのは生活慣習上不合理である。1年は365.2422・・日であるから365日とされ、残りの0.2422・・日については4年ごとに(0.2422..×4=0.9688を1日とする)1日を増やして処理することにされている。これが閏年である。
ところが地球や太陽は長い目で見ると基準とはならない。太陽が燃えて行くとその質量が何万年や何億年の間には減少していき、その影響により地球の周回が早くなっていくことが予想される。自転時間にも宇宙構造の影響が表れ変化することが考えられる。その故にこれらは絶対的な基準とはなり得ない。考えてみると物理学にとって一番重要な要素である時間の測定基準が不明確なことは奇妙に感じられる。
ニュートン物理学では時間は何人にとっても一様に流れるとされている。一様にとは一定速度でということであり、その流れる速度は測定する場所や測定する観測者の運動に関係する事はないとされている。これは実験することなくいわば公理的に前提とされてきた。 しかしこれには実は何の根拠もない。無批判に認めるわけには行かないのである。時間が全ての観測者にとって一様に流れるかどうかは、不明といわなければならない。 或る観測者にとって流れる時間の早さと他の観測者にとって流れる時間の早さが同じかどうかは、比較してみなければ解らないというべきである。 そして相対性理論は、基準系毎に別個の時間を持つこと、即ち観測者毎に時間が流れる速度が違うことを主張するのである。